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既製ハッピ名入れ

長与町にある本川内琴の尾太鼓保存会様より、既製品のハッピへの名入れ依頼をいただきました。

既製品のハッピは全国民謡踊りというカタログより選んでいただき、両衿と背中へのプリント加工を施しました。


本川内琴の尾太鼓保存会様、ご注文いただき誠に有難う御座いました。



本川内郷は木場・大越・横平の三自治体から成る長与ミカンの主産地で約150戸。地区にはかつて本川内浮立があり、明治末期に途絶えたが、「大太鼓」と「もらし太鼓」は地区集会所で保存し、盆踊りなどに使っていた。昭和62年7月にこの太鼓を生かして和太鼓による組太鼓を編成し新しい郷土芸能「琴の尾太鼓」を創生した。二つの古太鼓の張り替えの段階で元禄10年(1697)300年前の製作と分かった。2尺5寸(76センチ)の大太鼓の胴の内側には「元禄拾壬年正月吉日、摂州大坂渡辺村、河内屋吉兵衛、正治」のほか、享保、寛保、安永、天明、明治、大正の年月と太鼓屋のところ、張り替え人の名前が記されており、今回の昭和の張り替えで8回目となる。太鼓の張り替えを石川県松任市の浅野太鼓店に依頼したが、「創業400年になるが元禄年代作の張り替えは2度目、もう一つは元禄14年なので、この太鼓が現役では最古文化財もの」との評がある。  西暦79年、今を去る1930年前、神功皇后が国を治めるため(三韓役)この琴の尾岳で本陣を張られ、一夜を明かされた。作曲にもその遺跡を取り入れた「琴の尾太鼓」、のろしを上げ長崎から大村城下へ知らせた「のろし太鼓」、長与川の源流から湧き出た水が谷川となり、やがて大きな川となる様を曲にした「長与源流太鼓」、その他「祝い太鼓」がある。※長与町Webサイトより抜粋

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